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2005年03月26日
放送禁止歌 序章「肉」
アメリカの黒くて異常に頭がいい人が来て、
中国や北を牽制したり韓国を無視したりしていきましたが、
日本では牛肉輸入再開をそれなりに話し合ってました。
私はまだ輸入再開しないんじゃないか、と思います。
アメリカの言い分がそもそも良く分かりません。
いくら科学的に根拠がない、と言っても直接口にするものですから
全頭検査くらいやっても良いと思うのですが。
一体何の問題があるのでしょう?
受け入れない日本が悪いのだから圧力は当然だ、では
いまいち納得できません。
しかし、これは私個人の考え方。
国家間の取引には様々な要因が絡んできます。
アメリカ側は議員の支持基盤が食肉産業であり
そこからの突き上げで輸入再開を急いているのだ、
という話をTVで見てなるほどなぁと思いつつ、
日本でも同じような突き上げはあるよな、と思いました。
まあ日本側の話は一切触れられなかった訳ですが。
日本もアメリカも食肉がアンタッチャブルであり、
触れられないが故に政治と密接な関わりがあって
ブッシュさんも小泉さんも気を遣っているのかな、と
考えるのは邪推でしょうか。
何故気を遣うのでしょうか。
そもそも何に対して気を遣っているのでしょう?
大多数の一般的な宗教に於いて、と書こうとして
もやもやとヒンドゥー教が頭に浮かんだので、
とりあえずキリスト教と仏教、と限定しておきますが
人間以外でも生物を殺すことを良しとした宗教は無い、と思います。
仮に教義的には平気だったとしても、
その職業に対して良いイメージは持たなかったでしょう。
死は人間が畏れ、禁忌してるものであり
その死が日常的に繰り返される屠殺というのは
なるべく遠ざけたい穢れたものである、と考えたのでしょう。
職業に就く人の総称として生まれたのか
総称で呼ばれるが故にその職に就くしかなかったのか
どちらが先かは分かりません。
江戸時代、幕藩体制の民衆支配としてそんな人たちは穢多非人と呼ばれました。
穢多
そして穢多非人を強制的に集めた場所を部落と呼称しました。
部落民は穢れているとして差別されています。
そのような地区が近隣に無い私や皆様には
いまいち理解しにくいと思いますが、
部落差別は現在進行形で存在している、らしいのです。
復活初回としてはずいぶん長くなってしまいました。
コンドーム祭りの前にやった次章予告は「放送禁止歌」。
そして放送禁止歌と食肉、メディア論を結ぶ線が「部落」です。
次回 「部落と差別」
一応断っておきますが、
差別を歴史的事実として提示しているだけです。
屠殺業についても生き物から命を分けて貰う事を
代行している、と思って感謝しています。
投稿者 我利 : 02:43 | コメント (1531)